フレンチブルドッグは絶滅寸前だった!?登録100頭から全米No.1への大逆転劇

いま世界で最も人気のある犬種のひとつ、フレンチブルドッグ。でも実は、ほんの数十年前まで「このまま絶滅するかもしれない」と本気で心配されていた時代がありました。
登録数わずか100頭という危機的状況から、全米No.1犬種に登りつめるまでのV字回復ストーリーを紹介します。
金ぴか時代 – 1頭3,000ドルで取引されたフレンチブルドッグ
20世紀初頭のアメリカは、いわゆる「金ぴか時代(Gilded Age)」。フレンチブルドッグは上流社会で大人気を誇っていました。
J.P.モルガンやロックフェラーといった大富豪がフレンチブルドッグを飼い、社交界の女性たちはパリの最新ファッションとしてフレンチブルドッグを連れ歩きました。人気のあるバットイヤーの犬は1頭3,000ドル(現在の価値で数千万円相当)で取引されることもあり、盗難事件まで起きるほどでした。
1906年にはAKC(アメリカンケネルクラブ)の人気犬種ランキングで5位にまで上昇。まさにフレンチブルドッグの黄金時代でした。
転落のはじまり – 3つの逆風
ところが第一次世界大戦後、フレンチブルドッグの人気は急速に衰えていきます。その原因は主に3つありました。
① ボストンテリアの台頭
アメリカ生まれの小型犬ボストンテリアが登場し、フレンチブルドッグと似たポジションを奪っていきました。フレンチブルドッグより足が長くスリムなボストンテリアは、「アメリカ初の非スポーティング犬種」として注目を集めました。
② 自然分娩の難しさ
フレンチブルドッグは頭が大きく骨盤が狭いため、自然分娩が非常に困難。当時は安全な帝王切開の技術がまだ確立されておらず、出産時に母犬や子犬を失うケースが多発しました。ブリーダーにとって大きなリスクだったのです。
③ 大恐慌と世界大戦
1930年代の大恐慌で純血種の犬への関心が全体的に低下。続く第二次世界大戦ではヨーロッパのブリーダーたちが特に大きな打撃を受け、食糧不足で多くの犬が餓死したり、やむなく安楽死させられたりしました。
AKC登録わずか100頭 – 絶滅の危機
こうした逆風が重なり、1940年にはAKCに登録されたフレンチブルドッグはわずか100頭。「絶滅寸前の希少犬種」とまで言われるようになりました。
1960年になっても登録数は106頭にとどまり、AKCの専門誌には「このまま傾向が続けば、やがてこの犬種は絶滅するだろう」という警告記事が掲載されるほどでした。
復活の立役者たち
それでもフレンチブルドッグを愛するブリーダーたちが、少数ながら血統を守り続けました。
クリーム色のフレンチブルドッグを生んだアマンダ・ウエスト
1950年代、デトロイトのブリーダーアマンダ・ウエストがクリーム色のフレンチブルドッグを繁殖し、ドッグショーで大成功を収めます。彼女の犬たちは通算500回以上のグループ勝利、111回のベスト・イン・ショー、そしてウェストミンスターで21回連続の犬種勝利を記録。それまでブリンドルが主流だったフレンチブルドッグの世界に、新しい毛色の魅力を広めました。
1980年代──若いブリーダーたちの奮起
1980年代に入ると、若い世代のブリーダーたちがFBDCA(フレンチ・ブルドッグ・クラブ・オブ・アメリカ)を活性化。品評会を大規模イベントに変え、フレンチブルドッグ専門誌「The French Bullytin」を創刊するなど、犬種の魅力を積極的に発信しました。
1980年の登録数170頭が、1990年には632頭、2006年には5,500頭と急増していきます。
そして全米No.1犬種へ
2022年、フレンチブルドッグはついにラブラドール・レトリバーの31年連続1位の記録を破り、AKC人気犬種ランキング第1位に輝きました。2023年も連続で1位を獲得。登録数は約98,500頭に達しています。
1940年の100頭から、80年あまりで約1,000倍。これほど劇的なV字回復を遂げた犬種は、他に類を見ません。
まとめ
| 年代 | できごと | AKC登録数 |
|---|---|---|
| 1906年 | 人気犬種ランキング5位 | 多数 |
| 1940年 | 絶滅寸前の希少犬種に | 約100頭 |
| 1960年 | 「絶滅するかも」と警告記事 | 106頭 |
| 1980年 | 若いブリーダーが復興運動 | 170頭 |
| 2006年 | 人気が急上昇中 | 5,500頭 |
| 2022年 | 全米人気No.1に | 約98,500頭 |
いまあなたのそばにいるフレンチブルドッグは、絶滅の危機を乗り越えて生き残った犬種です。少数のブリーダーたちが信念を持って守り続けてくれたからこそ、私たちはこの愛すべき犬種と暮らすことができているのです。

